最近の報道で目立つ、小中学校での親のクレーマー状態は、今日のテレビでも特集が組まれていた。親の学歴が教員の学歴と同等かそれ以上(大学偏差値でも上回るケースの増加)になるケースがあると、これまでには見られなかったように過激な要求をしてくる親が急増しているという内容である。
教員に対する敬意とか、社会人としてのマナーとか、或いは実際教員の質が低下してみていられないといった状況もあるのだろうが、初等教育の現場は大学より大変であるなあと感じました。つくづく教育は国の根幹に関わる問題であり、国のあるべき姿に直結しているので、改めてその重要性を認識した気がします。
今週号の週刊東洋経済に英国と日本の格差に問題が取り上げられ、教育についても分析がなされています。僕自身は英国の教育問題はもともとが格差社会の激しい国家における落ちこぼれの数を減らすという観点からの改革なので、初等教育における底上げには成功したものの、高等教育の数は依然として欧州先進国では最下位に近いレベルのままである。日本は英国とは異なる教育システムなのでスタートが違いますが、競争原理を改めて厳しく導入するという考えには賛成です。
しかし大事なことはこの次です。競争とはおそらく偏差値の高い大学を目指すという点は後50年は変わらないでしょうから、その競争に向いていない、あるいはそういう競争には最初から加わらないで、別の職業・キャリアパスを選択をしたときに、それを受け入れる別のシステムが、同じ評価のテーブルに載せられることなく評価されるシステムを導入できるかどうかが成功の鍵を握っているように思います。
むやみやたらに大学が目先のネーミング変更しなくとも、高校卒業時に教育の価値観をシェアできる国づくりが大事であるように思います。大学の教職員が高校生やその両親にオープンキャンパスでへこへこするような図は一国の教育最前線の絵としては綺麗なものではありません。教育を受けている学生からの声をもっと外に反映させることで、その先輩の声をきいて後輩の高校生が、誰々先生のゼミに入りたい、と思って入学をしてくるならともかく、へぼ教員を隠しておいて、エースを前面に出して説明させて説得するというのはフェアーではありません。
そんなひどい教員のゼミにしかはいれなかったら最悪の大学生活になります。大学はもっと教員一人ひとりが外に向けて自分自身を発信することで、評価を得るのが普通だろうと思います。大学名はブランドならともかく、ブランドにならないDランク以下は、とにかく熱心な教員を集めることが大事だろうと思います。
小中学校教員の方々は大変なご苦労があると思います。しかし今、(自信や教養に裏打ちされた)語彙の少ない、歴史観のない、含蓄ある言語体系を持たない首相を担ぐ日本は、ひたすら現場力が頼りです。選挙の結果は、とにかく財布への影響が政治家選択の判断基準であるこの国おいて、どうでようが、次期首相はしっかりと大学で学び、歴史認識を持ち、目先にとらわれない方に首相職を全うしてもらいたいと思います。
現場が頑張っているから日本は維持されているのであって、その現場が崩壊したら後がありません。とにかく横の連帯を確認して、一人で悩まずに、協力することで突破できると僕は信じています。大学では数多くの元気のない学生に接して、4年間の間に前向きな人間に変えることができた経験を積みました。つまり教育現場に問題はあるにしても、今なら数年で修正できるという確信を持っています。だから政治家には早くリーダシップを発揮して欲しいと願うのです。
21:15| コメント (0)
| トラックバック (0)