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2006年08月14日

夜更けに思うこと

夏の夜長をどうして過ごしましょうか?なんて歌の歌詞みたいですが。

僕の住んでいる上石神井は比較的静かな住宅街で、少し寂しいくらい人通りがありません。個人的には(最近の言葉では僕的には?)もう少しにぎやかがいいです。バンクーバーの弁護士事務所に一年間単身赴任したときに、最初予約したコンドミニアムが手違いでふさがっていたので、しばらく繁華街のロブソン通りに面したところに住んでいました。窓からにぎやかな喧騒が少し聞こえる素敵な街でした。東京で例えると骨董通りのようなところでした。

その後契約したところに移ったのですが、寂しくていやでした。やはり住むのはすこし人の声や行き様が伝わるところが好きですね。

ただ、静かであることの特典は、神経が夜半に研ぎ澄まされることです。大事な手紙は夜半に書きます。メールもそうです。本音を書くのに躊躇しなくなるので正直な気持ちが伝わるように思います。以前自分の著書で夜書いた原稿を昼読むと少し恥ずかしいことがあるので注意しましょう、といったことを書いたが、これは本当だと思います。でも年とともに躊躇すべきことが減ってきて、最近は遠慮なく大事な人へメッセージを送るようにしています。

最近感じることをひとつ。「This is the way the world ends, not with a bang but with a whimper」というエリオットの詩が好きで、時折友人に伝えることがあります。この世界が終わるのは暴力によってではなく、ウィンパーが世界に蔓延するときである。と僕は翻訳しています。(よくある訳は、「かくて世の終わり来たりぬ、地軸くずれるとどろきもなく ただひそやかに」)

ウィンパーとは、犬が主人に叱られてやり場のない悲しい目をするあの表情、感情を指すと思います。つまりやり場のない、逃げ場のない空気があると人は耐えられなくなるのです。夫婦の間でも友人の間でも、意見を戦わすことは何ら問題はないが、自分ではどうしようもないこと、たとえば出自に関すること、家族の悪口、親戚の不幸な事実、などは自分の責任ではどうしようもなく、そういったことを心配せざるを得なくなったときに、人は怒りの感情の持って行き場がないのです。そのような空気が蔓延することは絶対に避けなくてはいけません。

仲の良い友人がつらいときや涙を見せるときに、ぼくはこの言葉を思い出して、この人の悲しみ苦しみを和らげるために自分ができることを考えます。エリオットの言葉はこういうときに、躊躇なく僕の頭の中によみがえります。後輩の相談に乗っているときにもそうです。誰かが苦しみを和らげるために何かをする、そのことが大事なことだと思います。それが目的のあるお金で救われる場合もあれば、時間の共有かもしれません。またやさしい気遣いかもしれません。人生の方向指示器になるときかもしれません。人が自分のために汗を流すことの大切さをいつもこの詩の言葉は教えてくれます。


僕のモットーである「孤食反対」はこんな経験から培われたものだと思います。
この一週間、いろいろと相談を受けることが重なり、自分の言葉で少しは気楽になってくれた人がいると思うとそれは嬉しいことです。体調が悪いと、言葉で傷つけることもあり、注意しているのですが、不調なこともあります。難しいです。

2006年08月14日 00:45

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